『L-エル-』の奇跡と共にあった1年
2016/03/05

第六章『L-エル-』アリーナツアー

ホール、アリーナ、そして、ファンクラブ限定で行なわれたライヴハウスという3つの魅せ方を提示した、アルバム『L-エル-』ツアー。
 yasuは、このツアーで、自身初のアリーナツアーを経験することとなった。これまでも、地元大阪の大阪城ホールを始め、日本武道館や横浜アリーナ、日本ガイシホール(愛知)など、アリーナのステージには立ってきたyasuだが、全国のアリーナをまわるツアーを試みたのは、今回が初めてのことである。
“とにかく、できるだけみんなの近くに行って唄いたい”と言うyasu。“それが何よりの特効だ”と、オーディエンスとの距離感を重んじるyasuにとって、ステージと客席の距離が遠くなるアリーナでのライヴをどのように作っていこうとしていたのだろう? そこに対し、どんな想いを抱いていたのだろう?
 第六章では、アリーナツアーへの想いを中心に語ってもらうことにした。



——アルバム『L-エル-』のツアーは、ホールツアーで全国をまわったあと、アリーナツアーへと繋がれていったわけだけど、アリーナツアー自体、Acid Black Cherry 史上初のことだったし、yasuくんのアーティスト人生においても初の経験だったんだよね?
「そうそう。デビューして16年、アリーナツアーをできるなんて想像してなかったからね。目指してたとか、諦めてたとか、そういうのも全然ないんやけど、できるとは全く思ってなかったというか。それくらいアリーナツアーって結構な敷居の高さやと思うからね。だから、いまだにお客さん来てくれるのか、会場が埋まるのか不安やけどね(笑)。今回のアリーナツアーも、“ほんまにお客さん来てくれんの!?”って、ずっと思ってたからね(笑)」

——いやいや、全国で待ってくれていたじゃないですか、全国のAcid Black Cherry ファンが。
「そうね。ほんまに嬉しかったね。ほんまに、来てくれてありがとうって思ったよ」

——yasuくんは、アリーナを目標にしたことはなかったの?
「うん。俺自身、あんまりライヴを観に行かない方やけど、やっぱりアリーナとかになると、距離が遠くなっちゃうでしょ。お客さん目線になってみると、ただ遠いだけなんじゃないかなって思うというか。やる側からしたら、“やっぱデカイなぁ!”とか“すごい景色やなぁ~!”って思うけどね。だから、見る側からのことを考えると、正直、ホールの方が楽しかったなって思うんちゃうかな? っていうのがあるから、アリーナでのライヴってどうなんやろな? って思ったりもするんやけどね。物理的に、(ステージとの)距離が遠くなれば(客席の)温度もだんだんぬるくなっていくっていうのは仕方ないことなんやけど、Acid Black Cherryを始めて一番最初の頃に言ってた、【1万人であろうが1人であろうが、全力で同じステージを演る!】っていう気持ちを、今回のアリーナツアーでどれくらい体現できたか分からないんですけど、一番後ろの人まで“楽しかった~!”とか“ワクワクしたわぁ~!”って思ってもらえたライヴが出来てたら嬉しいなって思ってますね」

——yasuくんは、どんな派手な特効より、自分がみんなの近くに行って唄ってあげることが、1番の特効だと思ってるって言ってたもんね。
「そうそう。その気持ちは今も変わってないからね。ほんまにそうやと思ってるから」

——なるほど。今回、ホールツアーとアリーナツアーも、一貫して、第五章で話してくれた、『L-エル-』のストーリーを映像化したモノをオープニングと中盤とアウトロ部分に差し込んでいた構成だったけど、ホールツアーとアリーナツアーで少し構成や演出を変えていたよね。
「うん。ホールツアーの時は、パネルが中央に寄っていて、2曲目に開いていくオープニングやったけど、アリーナツアーのオープニングは、パネルも頭から開いた状態やったしね」

——違っていたのはどうして?
「まぁ、アリーナでは広いステージをパネルでわざわざ狭くして演出するっていうのはちょっと違うんじゃないか? ってところで変えたんやけど、演出に至っては、出落ち感がないようにするっていうのは1番気にしたかな。そこは、今回に限らず毎回気にしてるところでもあるかな。俺、演出とか仕掛けみたいなのって、もともと好きじゃないのね。なんでかって言ったら、そこがピークになってしまって、そこからの出落ち感が生まれてしまうのが嫌やからっていうとこなのね。お客さんにしてみても、まぁいろいろな仕掛けは見てて“お~っ”ってなるかもしれへんけど、それこそ、今言ったみたいに、それよりも、やっぱりどれだけ近くに行ってあげられるかっていうところでもあると思うからね」

——たしかにね。
「そう。そういう意味も込めて、今回もいろいろと反省点はあったし、もっともっとライヴを作るというところでは、考えていかないとアカンとこやなって思ってるというか。ある意味、そこは今後の課題でもありますね。まだまだ改善していかなアカンとこでもあるなと」

——そういえば、今回のアリーナツアーは風邪ぎみだったりもして、ちょっと凹んでたりもしてたよね。
「そう。思うように唄えないとやっぱり凹むよね。体調管理というか、普段から風邪をひかないようにめちゃくちゃ気をつけているんやけど、ひいちゃったっていう。ホールツアーの初日では、またお腹こわしたりもしたしね。もぉ、ほんまに、気をつけてるのになんで? って思う」

——休むこと無くずっと走り続けているからね、無理もないよ。でも、
届ける側は完璧を目指そうとするけど、見ている側は、完璧であることはそこまで求めないというか、例えば風邪をひいているのが分かったとしても、その人の全力をそこに感じることに感動するんだと思うからね。
「そうなんかなぁ。まぁ、見てくれる人からしたらそうなんかもしれへんけど、でも、やっぱり自分的には思うように声が出えへんかったりすると、もうそれだけで点数は低くなるよね。やっぱり常に常に点数は高くあろうという意識でライヴには向き合っているから。高得点を取りたいなと思うし、最低限、完璧な状態でステージには立ちたいと思うからね」

——今回アリーナツアーは、アルバムツアーの締めでもあったわけだけど、ツアーをやり終わってみて、人気の高い曲、音源とは印象が変化した曲とかはあった?
「人気の曲はねぇ、やっぱり「エストエム」やったかな。見ててそんな感じがしたかな」

——「エストエム」は、アルバムを最初に聴いたときから、クラス一番の人気者になるだろうなって思った曲だったからね。待ってました、これぞAcid Black Cherry ! これぞyasu! って感じの曲だなって。
「あははは。やっぱそうなんや(笑)。なんか自分では解らへんねん(笑)。だから、ほんまに、「エストエム」がこんなに人気曲になるって思わへんかったし、作ったときも、“あ、好きそうなの出来たわっ!”とも思わなかったからね。でも、そうやって好きって言ってもらえたり、俺っぽいって思ってもらえるのは嬉しいことやね。セットリストの流れの中では、結構最後の方に置いてたけど、すごく盛り上がってくれてて嬉しかったですね」

——最終日の武道館はどうだった? 
「あんまり最終日っていう感じもしなかったけど、まぁ、楽しもうかなっていう気持ちでライヴしたかなって思うけどね。むしろどうやったかな? って気になるけど(笑)」

——いや、すごくラフに、構えず楽しんでた感じがしたというかね。
「あ、ほんと? それなら良かった(笑)」

——アルバム制作を含め、長いツアーだったけど、yasuくん自身本当にいろんなことを感じたツアーになったね。
「ほんまにそう思うね。このときのMCでも言ったと思うけど、このツアーを1年かけてまわって、改めてこの歳になるまで音楽をやれてることに感謝したからね。こんなに長く音楽やれるなんて思ってなかったから。僕が年を取っておじいさんになって、この『L-エル-』というアルバムとこのツアーを思い出した時、きっと、またそこでも改めていろいろ感じるんじゃないかって思ったというかね。そんなツアーになったなと思いますね」


Writer 武市尚子




【『L-エル-』の奇跡と共にあった1年・第七章『L-エル-』という愛の形=フリーライヴ】へ続く
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