『L-エル-』の奇跡と共にあった1年
2016/02/20

第四章『L-エル-』ライブハウスツアー

2月17日にリリースされたLIVEDVD&Blu-ray『2015 livehouse tour S—エス—』の映像の中にあったAcid Black Cherry=yasuの姿は、まさに彼の原点。
ライヴハウスを拠点とし、実力でその名を世に知らしめ、アーティストとしての確固たる地位を築きあげてきたyasuが、久しぶりにその【原点】で魅せたライヴは、さすがという他無い、納得のライヴパフォーマンスだった。

アルバム『L-エル-』のツアーは、ホールツアー、アリーナツアー、そして、ファンクラブ限定という形ではあったが、アリーナツアーと平行して行なわれたライヴハウスツアーという3つの魅せ方でライヴが届けたこともあり、その場所ごとに違ったAcid Black Cherry色が提示されていたと言える。
『L-エル-』は、いつも以上に物語性を深く宿したストーリーブックが存在していたことから、ライヴでの魅せ方をどうするのか? というところがとても興味深い部分でもあったのだが、yasuが敢えて選んだ300ほどのキャパのライヴハウスでのライヴは、ホールツアーやアリーナツアーとはまったく異なる世界観で『L-エル-』を魅せた、
“今”のAcid Black Cherryを体現したライヴだったように思う。第四章では、ライヴハウスツアーを振り返ってみた。
                

——ここでは、アリーナツアーと平行して行なわれた、ライブハウスツアー『S-エス-』を振り返ってみたいと思うんだけど、久々のライヴハウスツアーでは初心に戻ったんじゃない?
「そうね、ライブハウスはこうでなくっちゃ! って思ったね。ライブハウスツアーは、“ライヴハウスを楽しみたかった”からね。ちゃんとライヴハウスを楽しめたツアーになったんじゃないかなって思うね」

——そもそも、今回ライヴハウスツアーをしようと思ったのは何故?
「ライヴハウスツアーをしようって思った発端は、アリーナっていう大きな場所でやっているから、そことは真逆の発想で小さな場所でやってみたいって思ったから。やっぱりライヴハウスって原点やったりするからね。ありがたいことに、最近はホールとかでライヴをすることが多くなってきてるけど、やっぱり最初に武道館とかでやれたときは、特別な気持ちやったと思うからね。偉そうな意味じゃなくて、人間の心理として、何回もそこでやるようになると、初めての時とは違くなってくるっていうかね。もちろん、毎回そこでやれてる喜びや感謝は感じるんやけど、初めて立った時とは、気持ちが変わってくるというかね。そういうのもあって、久々にライヴハウスでやりたいなって思って」

——実際にやってみて、昔を思い出した?
「うん。バンド時代に、初めて大阪のMUSEホールでライヴしたときのことを思い出したね。地元でバンドやってた当時、大阪のMUSE ホールって言うたら、すごく敷居の高いライヴハウスやったんですよ。当時の自分たちからしたら、そこでライヴが出来るっていうだけですごいことやったからね。今回またそこに立つことが出来てなんとも言えない気持ちになったというかね」

——なるほどね。場所は当時のままの景色として残っているわけだからね。
「そうそう。そこに当時とは違う自分で立つっていうのが、なんとも言えない気持ちになったというか。ほんまに初めてそこに立ったときのことを思い返していたし、その時のことを思い出したからね。当時はお客さんまったく入ってなかったし、もっとガラーンとしてたなぁ、とかね。当時は集客が無くても、ただそこに立てただけで嬉しいと思ってたから。あん時はあん時で、すごく張り切ってたと思うしね。いろいろなモノがあの時と同じでないことは仕方ないことなんやけどね。いろいろと感慨深いモノがあったなって」

——yasuくんが、一番最初にMUSEホールに立ったのっていつだったの?
「当時、Gilles de RaisっていうバンドのボーカルのJOEさんとAIONっていうバンドのベースのDEANさんがやってた、Jesus Belleve Meっていうバンドがあったんやけど、そのバンドがMUSEホールでバンドをやるのに、対バン相手がおらんっていう話で、急遽声かけてもらったんですよ。“オマエら一緒にやらへんか?”って」

——じゃぁ、最初はちょっと棚ぼた系だったの?
「そうそう。1996年くらいのことやったんちゃうかな? 今回のツアーでMUSEでやったときは、そのときのことを思い出したりしたんだよね(笑)」

——Acid Black Cherryの歴史以上に遡ったんだね(笑)。
「そうそう(笑)」

——Acid Black Cherryもライヴハウスツアーからスタートしたけど、ライヴハウスっていうと、Acid Black Cherry よりも、yasuくんがバンドマンとしての人生を歩み出した時代の方が色濃い思い出がある場所なのかもね。
「そうね。そこからやったからね。そうそう、ちょっと話反れるけど、昔、灘波のW’OHOLでBreak Out祭をやったときに、初めて弁当が出たのね! そんときに、その弁当見て、“すげぇ! 弁当とか出んねや!”って思ったっていうね(笑)」

——そうなんだね(笑)。人に歴史ありだね(笑)。今回のライヴハウスツアーでは、愛知と福岡がAcid Black Cherryで初めてやったシークレットツアーでのライヴハウスだったんでしょ?
「そう。いろいろとその時のことも思い出したけどね、今回。シークレットライヴをやってた頃は、今のこの状況をまったく想像してなかったしね。その当時のちょっと先の未来を見て走ってた気がするからね。でも、今回はすごく当時を振り返りながらライヴしてたから、そこが昔と今とまったく違うところやったかな。なんか、自分の足跡を見ながらライヴしている気持ちになってたというかね。自分の過去を辿ったようなライヴをすると、思い出さざるを得ない感じになるよね。福岡とか、改めて、“あ、ここいいライヴハウスやな”って思ったしね」

——今回、ライヴ中のMCで、当時から観てる人って質問してたけど、何人か居たよね。
「居た居た居た! ビックリしたね。その頃から観ててくれた人が居たんや! ってね。たまたま観に来てくれてたっていう人も居たし。名古屋なんかは、シークレットライヴの後半あたりやったから、ちょっとバレてたとこもあって、それを知って観に来てくれた子も居たみたいやけど。でも、すごく嬉しかったね」

——1枚目のアルバム『BLACK LIST』の時以来だったからね、ライヴハウス。
「そうね。懐かしいね」

——でも、そこから8年、アリーナツアーが出来るようになるまでの集客で。その現状をyasuくんは今、どう感じている?
「もちろんすごく嬉しいし感謝してるけど、正直あまり実感がないというか。言うてもアングラな世界やと思うから、そこまで知ってくれてる人が多いってことを、ライヴの度に目で見て実感してる感じというかね。アーティストの人とか、街でふいに会った人とか、知り合いの人の知り合いからとか、“好きです。聴いてます”って言われると、え!? ホントに? って思うというかね。マジで!? って思うっていうかね。知ってくれてる人が増えていってる実感が無いというかね。でも、こうしてライヴをやると、それを目で感じることが出来るっていうね。ライヴはそういう意味でも、すごくダイレクトに反応を知ることが出来る、これ以上にない場所やと思いますね。そういう意味でも、またいつかライヴハウスでライヴしたいなって思うね」


Writer 武市尚子



【『L-エル-』の奇跡と共にあった1年・第五章『L-エル-』ホールツアー】へ続く
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