2016/01/30
第一章『『L-エル-』がうまれるまで=『L-エル-』が出来るまでの流れ』
2015年の2月25日にリリースされたAcid Black Cherryの4枚目のオリジナルアルバム『L-エル-』は、2012年の3月21日にリリースされた前作「『2012』」から、構想から制作まで約2年という歳月をかけて生み出された、これまで以上にガッツリとしたストーリー性を持たせたコンセプトアルバムであった。
そんな『L-エル-』が生み出されていったのは、“全都道府県でライヴをする”ということと、“各地でテレビやラジオの公開録音やハイタッチ会を行う『Shangri-la Meeting』をする”ということと、“このツアー中に新たな音源をリリースする”という3つの約束を掲げていた、全都道府県ツアー【Project『Shangri-la』】(2013年8月からスタート)からの流れであったと思うと、yasuは言う。
まさに、『L-エル-』には、物語の中でフックとなってくる楽曲、「Greed Greed Greed」、「黒猫~Adult Black Cat~」、「君がいない、あの日から…」からなる“Project『Shangri-la』3部作シングル”が収録されている。シングルとしてリリースされた3枚は、シングル単体で放っていた意味を、アルバム収録後にはまた違う形に変化させていくことになるのだが、これらを『L-エル-』というストーリーと繋げたのは、アルバムへの布石となったシングル「INCUBUS」(2014年10/22リリース)であったのだ。
——yasuくんの中で『L-エル-』の破片が出来上がったのは、リリースよりも相当前だったよね。構想2年くらいだったかな?
「そうやね、ざっくりそんなもんなんかな。作り上げるまでに2年くらいかかって、1年かかってツアーしたからね。なんか、なんやろ? 「『2012』」という作品の後に続く作品でもあったから、俺ももちろん、スタッフ一同力を入れて取り組んだ部分もあったと思うからね」
——『L-エル-』は、「『2012』」から約3年ぶりとなるオリジナルアルバムでもあったしね。「『2012』」は、さらにその前のアルバム『Q.E.D.』(2009年8/26リリース)から「『2012』」がリリースされた(2012年3/21リリース)時間の中で、yasuくんが経験し、そこで感じたリアルがストーリーには吐き出されていた作品でもあったし(※『2012』は、【マヤ歴で世界が終わる】というテーマを軸とした架空のお話が存在しながらも、そこにはボーカリスト生命に関わる喉の手術や、東日本大震災を受けて感じたリアルが背景に描かれていたモノだった)、音楽チャートで自身初となるウイークリー1位を獲得した作品でもあったからね。
「そうそう。その作品の後に続く作品でもあったからね、いつも以上にみんなが力を注いで向き合った作品でもあったと思うから。2013~14年の話になってしまうけど、「『2012』」をリリースして、そこからの全都道府県ツアーでもあった【Project『Shangri-la』】ツアーに続いていったから、そこも含め気持ち的な面では『L-エル-』の一貫やった気がするというか。もちろん、【Project『Shangri-la』】は『L-エル-』の一貫として行なわれたモノではなく、“ABCの音楽を通して笑顔になってもらいたい”というのが目的だったツアーでもあったんやけど、今思えば『L-エル-』に繋がっていくモノであったなって思うというかね。【Project『Shangri-la』】が始まるときから、新曲の「Greed Greed Greed」を作って、それを持ってツアーに行くっていう感じやったよね?たしか。そうやったよね?」
——そうそう。
「そうだよね。そんときは、まだ『L-エル-』の物語などは出来てなかったけど、でも、曲は揃い始めてた頃やったから、自分の中ではずっとアルバムのことを考えながら、コツコツと作り上げていたような気がする」
——【Project『Shangri-la』】ツアーが始まったのは、2013年の8月のことだから、相当前の話になるよね。
「そうね。振り返ってみると本当にそうやね」
——yasuくんの中で、『L-エル-』を生み出す際の1番の佳境って、いつ頃だったの?
「そうやねぇ、それはやっぱ【Project『Shangri-la』】ツアーが終わって、そこからまた曲作りをしたんやけど、そのくらいの頃なんちゃうかな?なんかずっと曲作ってた気がするからね。【Project『Shangri-la』】ツアーに行く前からやし、【Project『Shangri-la』】の3rd Seasonやった関西・中国tour(※2013年の11/21~12/27まで)から一旦東京に戻ってきて、途中にちょっと空いた時間があったのね。1月は丸々ツアーがなかったから。そんときもずっと曲作りしてた気がするし。ほんで、【Project『Shangri-la』】ツアーのArena tour(※2013年5/13~5/29までで行なわれた【Project『Shangri-la』Encore Season~Arena tour~】そして6/13~6/22まで行なわれた【Project『Shangri-la』Final Season】が終わってからも、また曲作りしてた気がするからね。とにかく、ずっと曲作りしてた気がする。ツアーに行ってるか曲作りしてるか、どっちか。【Project『Shangri-la』】ツアーのときは、ほんまにそうやった」
——そりゃ友達居なくなるよね……。
「そう! 居なくなる居なくなる(笑)。とにかく、ずっと曲作りしてたから、誰も誘ってくれなくなったからね(笑)。人間、何かを得ようとすると、何かが無くなんねんなって思ったね、そんときに(笑)。そんなもんなやなって」
——人生、すべてが完璧な状態で揃うことって、無いのかもね。
「そうそう。ほんまにそう思うね。ほんまにそん時はそう思ったわ」
——寂しくなっちゃうっていう(笑)。
「そうそう(笑)」
——ライヴをやったら、各会場にはあんなにも多くのお客さんたちが待っててくれたのにね。
「うん。まぁ、それはほんまにすごく嬉しかったけどね。でも、ほんまにプライベートがめっちゃ寂しくなったっていう(笑)」
——お気の毒なことで(笑)。
「ほんまに(笑)」
——10月22日にリリースされたニューシングル「INCUBUS」は、先に控えるアルバムを意識した作品でもあったことから、制作に結構時間がかかってたよね。
「そうやね。いつも以上に難産やったね。ほんまにギリギリまでやってたからね」
——「INCUBUS」を作り始めた頃、“アルバムを臭わす1曲になったと思う”って言ってたよね。
「うん。ちゃんと繋がっていく、道係になったんじゃないかなと思いますね。アルバムを紐解く感じというか、あの時点では、なんとなくヒントになる景色をいろいろと感じてもらえるんちゃうかなと。アルバムのストーリーのワンシーンを切り取ったのが「INCUBUS」っていうね」
——アルバムのストーリーの大枠は出来たのはいつ頃だったの?
「アルバムの大枠のストーリーは6月にツアーが終わったあたりだったかな。でも、お話が先やった訳ではなく、アルバム用に書いたデモテープがいっぱいある中で、そこの中に出てくるキーワードを繋げてお話を描いていったって言った方が正しいかな。だから、「INCUBUS」もそうで、“アルバムのワンシーンにピッタリな曲が出来たから、この曲をシングルに!”って流れやった感じ。ミュージックビデオも象徴的なシーンを切り取ってストーリーを作っていった感じになっていたからね。もちろん、この1曲だけを切り取ってみた時にも、ちゃんと成立するような映像にはなってたんやけど、かなりアルバムを臭わせるモノになってたからね。でも、アルバムが出たときに、その点と点が結びついていくことで、もう一歩作品に入り込めるものになったんじゃないかなと思いますね」
——そここそが、いつもyasuくんがコンセプトアルバムにこだわる意味でもあるからね。
「そうそう。もっと言うなら、アルバムに収録される「Greed Greed Greed」「黒猫~Adult Black Cat~」「君がいない、あの日から…」というすべてのジャケットも、アルバムへの導線となっている流れも感じてもらえたりすると思うからね」
Writer 武市尚子
【『L-エル-』の奇跡と共にあった1年・第二章『『L-エル-』の誕生=『L-エル-』が作られていった過程』】へ続く
そんな『L-エル-』が生み出されていったのは、“全都道府県でライヴをする”ということと、“各地でテレビやラジオの公開録音やハイタッチ会を行う『Shangri-la Meeting』をする”ということと、“このツアー中に新たな音源をリリースする”という3つの約束を掲げていた、全都道府県ツアー【Project『Shangri-la』】(2013年8月からスタート)からの流れであったと思うと、yasuは言う。
まさに、『L-エル-』には、物語の中でフックとなってくる楽曲、「Greed Greed Greed」、「黒猫~Adult Black Cat~」、「君がいない、あの日から…」からなる“Project『Shangri-la』3部作シングル”が収録されている。シングルとしてリリースされた3枚は、シングル単体で放っていた意味を、アルバム収録後にはまた違う形に変化させていくことになるのだが、これらを『L-エル-』というストーリーと繋げたのは、アルバムへの布石となったシングル「INCUBUS」(2014年10/22リリース)であったのだ。
——yasuくんの中で『L-エル-』の破片が出来上がったのは、リリースよりも相当前だったよね。構想2年くらいだったかな?
「そうやね、ざっくりそんなもんなんかな。作り上げるまでに2年くらいかかって、1年かかってツアーしたからね。なんか、なんやろ? 「『2012』」という作品の後に続く作品でもあったから、俺ももちろん、スタッフ一同力を入れて取り組んだ部分もあったと思うからね」
——『L-エル-』は、「『2012』」から約3年ぶりとなるオリジナルアルバムでもあったしね。「『2012』」は、さらにその前のアルバム『Q.E.D.』(2009年8/26リリース)から「『2012』」がリリースされた(2012年3/21リリース)時間の中で、yasuくんが経験し、そこで感じたリアルがストーリーには吐き出されていた作品でもあったし(※『2012』は、【マヤ歴で世界が終わる】というテーマを軸とした架空のお話が存在しながらも、そこにはボーカリスト生命に関わる喉の手術や、東日本大震災を受けて感じたリアルが背景に描かれていたモノだった)、音楽チャートで自身初となるウイークリー1位を獲得した作品でもあったからね。
「そうそう。その作品の後に続く作品でもあったからね、いつも以上にみんなが力を注いで向き合った作品でもあったと思うから。2013~14年の話になってしまうけど、「『2012』」をリリースして、そこからの全都道府県ツアーでもあった【Project『Shangri-la』】ツアーに続いていったから、そこも含め気持ち的な面では『L-エル-』の一貫やった気がするというか。もちろん、【Project『Shangri-la』】は『L-エル-』の一貫として行なわれたモノではなく、“ABCの音楽を通して笑顔になってもらいたい”というのが目的だったツアーでもあったんやけど、今思えば『L-エル-』に繋がっていくモノであったなって思うというかね。【Project『Shangri-la』】が始まるときから、新曲の「Greed Greed Greed」を作って、それを持ってツアーに行くっていう感じやったよね?たしか。そうやったよね?」
——そうそう。
「そうだよね。そんときは、まだ『L-エル-』の物語などは出来てなかったけど、でも、曲は揃い始めてた頃やったから、自分の中ではずっとアルバムのことを考えながら、コツコツと作り上げていたような気がする」
——【Project『Shangri-la』】ツアーが始まったのは、2013年の8月のことだから、相当前の話になるよね。
「そうね。振り返ってみると本当にそうやね」
——yasuくんの中で、『L-エル-』を生み出す際の1番の佳境って、いつ頃だったの?
「そうやねぇ、それはやっぱ【Project『Shangri-la』】ツアーが終わって、そこからまた曲作りをしたんやけど、そのくらいの頃なんちゃうかな?なんかずっと曲作ってた気がするからね。【Project『Shangri-la』】ツアーに行く前からやし、【Project『Shangri-la』】の3rd Seasonやった関西・中国tour(※2013年の11/21~12/27まで)から一旦東京に戻ってきて、途中にちょっと空いた時間があったのね。1月は丸々ツアーがなかったから。そんときもずっと曲作りしてた気がするし。ほんで、【Project『Shangri-la』】ツアーのArena tour(※2013年5/13~5/29までで行なわれた【Project『Shangri-la』Encore Season~Arena tour~】そして6/13~6/22まで行なわれた【Project『Shangri-la』Final Season】が終わってからも、また曲作りしてた気がするからね。とにかく、ずっと曲作りしてた気がする。ツアーに行ってるか曲作りしてるか、どっちか。【Project『Shangri-la』】ツアーのときは、ほんまにそうやった」
——そりゃ友達居なくなるよね……。
「そう! 居なくなる居なくなる(笑)。とにかく、ずっと曲作りしてたから、誰も誘ってくれなくなったからね(笑)。人間、何かを得ようとすると、何かが無くなんねんなって思ったね、そんときに(笑)。そんなもんなやなって」
——人生、すべてが完璧な状態で揃うことって、無いのかもね。
「そうそう。ほんまにそう思うね。ほんまにそん時はそう思ったわ」
——寂しくなっちゃうっていう(笑)。
「そうそう(笑)」
——ライヴをやったら、各会場にはあんなにも多くのお客さんたちが待っててくれたのにね。
「うん。まぁ、それはほんまにすごく嬉しかったけどね。でも、ほんまにプライベートがめっちゃ寂しくなったっていう(笑)」
——お気の毒なことで(笑)。
「ほんまに(笑)」
——10月22日にリリースされたニューシングル「INCUBUS」は、先に控えるアルバムを意識した作品でもあったことから、制作に結構時間がかかってたよね。
「そうやね。いつも以上に難産やったね。ほんまにギリギリまでやってたからね」
——「INCUBUS」を作り始めた頃、“アルバムを臭わす1曲になったと思う”って言ってたよね。
「うん。ちゃんと繋がっていく、道係になったんじゃないかなと思いますね。アルバムを紐解く感じというか、あの時点では、なんとなくヒントになる景色をいろいろと感じてもらえるんちゃうかなと。アルバムのストーリーのワンシーンを切り取ったのが「INCUBUS」っていうね」
——アルバムのストーリーの大枠は出来たのはいつ頃だったの?
「アルバムの大枠のストーリーは6月にツアーが終わったあたりだったかな。でも、お話が先やった訳ではなく、アルバム用に書いたデモテープがいっぱいある中で、そこの中に出てくるキーワードを繋げてお話を描いていったって言った方が正しいかな。だから、「INCUBUS」もそうで、“アルバムのワンシーンにピッタリな曲が出来たから、この曲をシングルに!”って流れやった感じ。ミュージックビデオも象徴的なシーンを切り取ってストーリーを作っていった感じになっていたからね。もちろん、この1曲だけを切り取ってみた時にも、ちゃんと成立するような映像にはなってたんやけど、かなりアルバムを臭わせるモノになってたからね。でも、アルバムが出たときに、その点と点が結びついていくことで、もう一歩作品に入り込めるものになったんじゃないかなと思いますね」
——そここそが、いつもyasuくんがコンセプトアルバムにこだわる意味でもあるからね。
「そうそう。もっと言うなら、アルバムに収録される「Greed Greed Greed」「黒猫~Adult Black Cat~」「君がいない、あの日から…」というすべてのジャケットも、アルバムへの導線となっている流れも感じてもらえたりすると思うからね」
Writer 武市尚子
【『L-エル-』の奇跡と共にあった1年・第二章『『L-エル-』の誕生=『L-エル-』が作られていった過程』】へ続く